笑顔が生まれる地域の「台所」 オカザキスーパー
2016年8月に一般社団法人ワカツクと河北新報が主催した記者インターンシッププログラム「記者と駆けるインターン」。参加学生が執筆した記事を紹介します!
※オカザキスーパーは、閉店しました(2018年9月)
笑顔が生まれる地域の「台所」 オカザキスーパー
8月下旬の昼下がり。特売日で混み合う仙台市青葉区中山の「オカザキスーパー」で、常連客の80代男性がしみじみとした口調で言った。「この店は中山になくてはならない存在。なくなったら俺が干からびてしまう」
威勢の良い声が響く店内に、早朝に仕入れた生鮮品や店で作った総菜が所狭しと並ぶ。店の創業は周囲の住宅がまばらだった1971年。40年以上たった現在、周辺は大型スーパーの進出が相次ぎ、市内でも有数の激戦区だ。3代目社長の岡崎敏郎さん(49)は「値段では大手に負けるかもしれないが質は負けない」と自信を見せる。
店は配達サービスに力を入れている。丘の街・中山では買い物のたびに坂を上り下りしなければならない。客の負担軽減のため、敏郎さんの父で創業者の故俊雄さんが配送車を購入し、店頭で購入した商品の無料配達を始めた。10年前には保冷車を導入し、電話注文の受け付けも開始。量や距離に関わらず、一律料金で配送する。高齢者世帯や子育て中の主婦を中心に店から5キロ圏内で1日30~40件配達する。「ネギ一本から配達しますよ」と副店長の鴨田敏博さん(44)。配達先で電球の交換を頼まれたこともある。
▲オカザキスーパーの正面入り口。看板の下の男の子の顔は、絵が得意だった俊雄さんが、創業当時幼かった敏郎さんを書いたものだという。
東日本大震災では底力を見せた。本震から30分後に雪が降る中、店の前で営業を再開。翌日からは岡崎さんと従業員らが取引先の問屋や農場を回り、商品を仕入れた。「オカザキは開いている」。営業の情報は口コミやツイッターで広まり、大崎市や松島町などの遠方からも客が訪れた。「小さな店だからこそ素早い対応ができた。『オカザキがあってよかった』というお客さまの声があったから頑張れた」と岡崎さんは振り返る。
地域からの厚い信頼を得る一方、震災後は電気料金の値上げなどで厳しい経営状況が続く。しかし岡崎さんは中山を離れるつもりはない。「一小売店を超えて、地域から必要とされる存在でありたい。より中山に根付いた『地域粘着型』で経営を続けていく」
▲配送トラックの前に並ぶ社長の岡崎さん(左)と副店長の鴨田さん。配達中は、地域のパトロール活動も担う
取材後記
今回取材をしたオカザキスーパーさんは、私の親が小さい頃から通っていた店であり、私自身も小さい頃からしばしば買い物に行っていた。正直に言うと取材前は、よく通った店だから、知り尽くしているだろうと高を括っていた部分もあった。しかし、取材を通して店が地域になくてはならない存在だということを思い知らされた。客は一様に「買い物はいつもオカザキだ」と口にしていた。
個人経営店でありながらもスーパー激戦区で生き残る理由は、地域からの信頼に他ならない。東日本大震災の時には多くの小売店が休業を余儀なくされる中、いち早く営業を再開し、客の要望に応える品ぞろえを実現させた。中小企業の底力は計り知れない。近所に住んでいながらも知らないことがたくさんあったことに愕然とした。私は自分が住む地域に目を向ける機会が少なかったかもしれない。これを機に、地域の情勢に注目し、新しい魅力を発見していきたいと思う。
そしてこの取材活動を、今後の私の探求心の糧にしていきたいと思う。
取材協力
オカザキスーパー
宮城県仙台市青葉区中山5-1-6
文・写真
河北新報社インターンシップ14期B班
東海大学1年 猪股修平
この記事を書いた人
- 一般社団法人ワカツクと河北新報社が主催するインターンシッププログラム「記者と駆けるインターン」。学生たちがチームを組んで、仙台の中小企業や団体を取材した記事を紹介します。ときに励まし合い、ときにぶつかりながら、チームで協力して取り組んだ“軌跡”をお楽しみに♪
この人が書いた記事
- 記者インターン2019.05.09「Volume1(ver.)」人と音楽の縁結ぶ
- 記者インターン2019.04.25「タンヨ玩具店」お客さんと共に守る
- 記者インターン2019.04.11「PHOTOスタジオONE」写真で紡ぐつながり
- 記者インターン2019.03.28「Lamp of Hope」希望の灯火きっかけに