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【動画】日々を漫画にする!『てづくり漫画工房』

根本 もっさん
1,132 views 2015.02.06

仙台じょぶすとりーむ~てづくり漫画工房~

仙台を拠点にしたクリエイター集団「てづくり漫画工房」。
元は漫画家のメンバーが立ち上げた団体ですが、現在は漫画に限らずイラスト、広告デザイン、キャラクターデザイン、絵コンテ、フィギア制作、その他いろいろな制作に携わっています。

今回は「てづくり漫画工房」顧問の山下秀秋さんから、活動内容や漫画との関わりについて、お話をお伺いしました!

五十嵐:今日はてづくり漫画工房の山下さんにお話をお伺いします。よろしくお願いします。

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「てづくり漫画工房」ってどんなところ?

五十嵐:さっそくなのですが、てづくり漫画工房というのはどういったところなのですか?

山下:漫画に関する依頼を受けて漫画を書いたり、自分からお願いして漫画を書かせてもらったり、基本的にはいろんな人間ドラマといいますか、テーマといいますか、そういったものを盛り込んだ漫画をつくりたいなと思っています。

五十嵐:では、てづくり漫画工房をはじめたきっかけは何ですか?

山下:元々はじまったのは今から20年くらい前なんですよ。私は元々東北高校勤務なんですけれども、東北高校が100周年を迎えたのが20年前で、記念誌を作ろうという話になったんですけれども、「普通の記念誌じゃ面白くないから漫画でやってくれないか」という話があって。

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山下:私は漫画部の顧問をやっているから引き受けたはいいんだけど、1年間で二百何十ページってどうしても描けなくて。窮余の策で私が脚本書いたり資料を集めるから、卒業生でプロでやってるやつら中心に、それぞれのパートを受け持ってもらって書いてもらう。そんなシステムを取ったんですよ。

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きっかけは「漫画部OBの結婚式」

山下:で、それに前後してなんですけど、漫画部の卒業生で「結婚するから来てくれないか」って話があって。
仲間内で呼ばれて、「こいつは金がなさそうだし、みんなで記念品をプレゼントしよう」なんて話になったんですよ。
で、この(東北高校の記念誌を作った時の)方式を取ろうということになって、みんなで取材して、みんなで描いて、結婚式場で渡すちっちゃな漫画本を作ったんです。
2人の出会いはこうなっていて、趣味はこんなんで、将来こんな家庭を作りたくて、みたいなね。
そしたら仲人さんいらないんですよね。事前にテーブルに置いておくと、みんな面白がって読んでくれる。
(てづくり漫画工房は)そんな感じではじまりました。

自分の人生を漫画にしてくれる「工房」

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山下:この漫画は「全然漫画家とか分からないんだけど…」って言いながら、船岡で飲み屋さんをやっているおばあさんが依頼してきたものですね。
なんでこういうお店をやるようになったかを描いてくれないか」という依頼があって描いたんですけどね。

山下:そしたら(店主さんが)惚れ込んじゃって、「今まで書いていた日記帳を焼いた」って言うんですよ。「これ1冊あればいい」って。わずか十数ページなんですけどね。そういう話を聞くとやっぱ嬉しいですよね。
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自分が漫画を描く理由

山下:これは「てづくり漫画工房」名で、震災をテーマにした私の記録みたいなつもりで、今までで一番長かった春休み、そのことを描きました。

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山下:で、描いているうちにだんだん見えてきたんだけど「あ、俺は今からこれ(震災)を描くんだな」という、そんな気になって。
これ(『生きる』)は私の体験なんだけど。
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山下:これ(『おかえり!揚子江』)は石巻にある中華料理屋さんの話なんですね。
震災、その後のいろんな苦労から奇跡的に立ち直ってる、どうしてそうなったんだろうということを私なりに興味を持って「描かしてもらえませんか?」と私からのお願いで描かせてもらったんで、変な話、稿料にはならないけど、いいものが出来たような気はしてますね。

漫画家・永島慎二氏との出会い

五十嵐:漫画を描き始めたきっかけはなんでしょうか?

山下:なんでしょうね、元々好きだったんですけども、1番のきっかけは永島慎二っていう人の漫画に出会ったからなんですね。

山下:彼の作品で『漫画家残酷物語』って漫画に中学2年か3年かのときに出会ったんですよ。で、その作品が、正直な大人が書かれている漫画だったんですね。

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山下:子どもにいい商品を提供したいんだけれども、商業主義の中でなかなかそれが成されないで苦しんでいる主人公が、自分の好きな漫画のために、ずうっと、日中は土方仕事ばっかりやって、夜数時間描くって生活で。体を壊しながら、漫画を描いている人だとか、そういう中で、「俺はこういうのやりたいんだけれども、なかなかね」というのが中学生ながら伝わってきてね。漫画っていうよりも「正直な大人に会えた嬉しさ」っていうのかな…決して肩肘張ったり、そんなんじゃない、素直な気持ちでこう、こっちに向かってくれたなっていう感覚があって。
それからずぅっとその永島慎二っていう人の漫画を追いかけるんですよ。

訪れたチャンス

山下:それで38、9になると、仙台の書店でサイン会をやるって話を聞いて、こう彼の作品を傾向別に床に並べて写真を撮ってね、それをちっちゃな写真帳に挟んで、最後のページに「今晩ここで飲んで待ってます」ってメッセージと地図を描いて、それをサイン会でこう永島先生に渡したんですね。
(わぁっ渡しちゃった!)みたいな感じで。
そんで酒飲んでたでしょ。来るわけねぇよなんて卒業生たちと言ってたら後ろの方で「カランッ」とカウベルが鳴ってね、空気がスーッと冷たくなるような感じ。
「あっ来た!」っていうような感じね。
歴史上の人物よりも俺にとって大事な人が、本当にこれで来てくれたんだっていう嬉しさ、あれはすごかったですね。

山下:そういう中で、永島先生が何をしたかっていうと、俺に深々と頭を下げたんですよ
で、「ありがとう」って言うから、なんだろうなと思ったら、写真を見たらもう彼が既に持っていない彼の作品を、私が持っていたらしいんですね。
しかもとても綺麗な状態で。「大事に扱ってくれているのが分かる、だからありがとう」と言われてね。

山下:帰り際にね、永島先生が「山下先生や山下先生の友達が東京に来るとき、声をかけてもらえばうちに泊まってもらいます」なんて言うから、いやぁすごい社交辞令だなぁと思いながら、「じゃあ今度先生が仙台に来たときはうちに泊まってもらいますから!」なんて言ったら、自分からまたサイン会を申し出てくれたのかな、本当に次の年、我が家に泊まってくれたんですよね。

五十嵐:すごいですね!

山下:ええ、何年かして勘定しながら笑ったんですけど、1年間で30日間うちに泊まっていた年もありますね。たまに私の部屋にこもって何をしてるかと思えば、「今までどれくらい漫画を描いたかがこの部屋で分かるんだ」なんて言って本棚を見ていてね。

自身で漫画を描くことに

山下:その頃から「漫画の脚本を書いてみないか」と誘われて。永島先生自体、スランプで数年漫画を書いてなかったんですよ。で、脚本書てみないかと言われて、書いてみたんですけど、最初はやっぱり駄目なんですよ。駄目なんだけど送るたんびにすぐに本人が来て「ここをこうしたらどうだろう」っていろいろアドバイスをくださって。何本か書いているうちに、永島先生が「これを描こう」と言い出すものが出てくるんですね。

山下:ただ残念ながら、その頃彼は『銀河鉄道の夜』の仕事を受けるんですね。宮沢賢治さんの。フルカラーで、NHK出版というところから受けた単行本書き下ろしなんですけど。
最初の16ページは先生が授業をやる風景か何かなんだけど、その先生が私の顔なんですよ。
カンパネルラはうちの長女がモデルで、銀河鉄道の観客の顔がうちの親父だったり、そういう人たちがいっぱい散りばめてあるフルカラーの漫画でね。あれはすごい嬉しかったなぁ…。

山下:そうこうしているうちに永島先生が体を壊されてね。
結局日の目を見ないで私の脚本は終わっちゃうんですよ。何千枚描いたんだろうなぁ…。
だもんだから、しょうがないので、今ぼちぼちと自分で漫画にしてますね。先生に充てた脚本をね。

「生きててもよかったんじゃない?」

山下:なんかやっているうちに気がついたんですけど、一生懸命描いているでしょう?で、描いているときを振り返るとね、そんときの自分って許せるんだな。
「生きててもよかったんじゃない?」って気がするんですよ。
結局こういうものを残したっていうかな、こういうものを描いた自分に「お前よくやったな」みたいなね、そんな感覚ってありますね。

山下:さっきも言いかけたんですけど、私なりのテーマがやっと見えた。不幸なことですけど、震災の被害者なわけですね。みんなそうなんですけど。
その中で、得たものを知らない人に伝えたり、私なりに「レクイエム」というか、鎮魂を語ったり、それが「これからの俺の描く作業だ」ってものが見つかったんで、もうしばらくは辞めらんないでしょうね。

漫画家になりたい若者へ

五十嵐:では最後に、漫画家を目指している学生たちに向けて何かメッセージがあればお伺いしたいんですが。

山下:これは私が漫画活動をやってきてひとつだけ言えることだと思うんですけど、「プロになるな」ということですね(笑)。
お金にしなくちゃいけないとか、生活がかかってくると、大変なやつらをいっぱい見ていますからね。

山下:ただ、簡単にうまくいく世界でもあるんです。去年まで収入が0だったのが、ポコーンとあがるとね、100万単位、1000万単位のお金が一発で入ってきますから。
小説家なんかは100万部売れるとお金持ちと言うけど、漫画家は100万部という数字はすぐ超えますよね。当たった作品を見るとね。でも一方で食えてない人がいっぱいいるのも見ているし、だから、漫画部の子たちには「基本的には楽しめよ」って話をしますね。
でも、「それでもやる!」って人のことは、とことん応援しますよ。教え子が雑誌で出るたんびに同じ雑誌を袋いっぱいに買ってきて、「ファン投票こいつに入れてくれ!」ってお願いしたりね。

山下:それともうひとつ言えることは、まるっきり逆。
私はこういうスタンスでやっているんだけど、私と同い年くらいの人で、ずっと漫画界でやってきた人、下積み長くやってきた人が、今は大学の教授になっていますけども、何かの講演があるたびに必ず私の言ってる「プロにはなるな」って言葉をを紹介するんだそうです。でも彼が、私に発した言葉も本当なんですよ。

山下:「あなたそういうけども、若いうちに冒険しなくていつするの?
これも本当だと思うんですよ。選ぶのは結局、自分なんじゃないですかね。

五十嵐:今日は東北高校漫画部顧問で、てづくり漫画工房顧問の、山下秀秋先生にお話をお伺いしました。山下先生、ありがとうございました。

山下:ありがとうございました。

「てづくり漫画工房」の活動はもちろん、山下秀秋先生自身のお話も非常に興味深く、示唆に富んだお話でした。インタビューの動画版は、以下のリンクからご覧ください!

仙台じょぶすとりーむ~てづくり漫画工房~

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