劇場から伝え続ける悲しみ、悔しさ 「クオータースタジオ」
2014年9月に一般社団法人ワカツクと河北新報が主催した記者インターンシッププログラム「記者と駆けるインターン」。参加学生が班ごとに取材した記事を紹介します!
劇場から伝え続ける悲しみ、悔しさ
純白の花嫁衣装を手に父親はバージンロードを歩く。
着るはずだった娘は隣にいない。
ドレスに目線を落として嘆く。
「どんだけの花嫁衣装が袖、通されなかったんだべな」
仙台市青葉区五橋にある「クオータースタジオ」で2012年3月、初演された舞台の一場面だ。
タイトルは「White―あの日、白い雪が舞った」。
25席の小さな劇場は満席になった。
花嫁の父親を演じた井伏銀太郎さん(56)は、劇場のオーナーであり、脚本を手がけた。
【稽古を見守る井伏さん(左手前)=仙台市青葉区】
物語の舞台は、東日本大震災から3年が過ぎた宮城県のある港町。
津波で行方不明になった娘のために、残された家族が開く花嫁不在の披露宴を中心に劇は進む。
クオータースタジオは仙台市内にある劇場で唯一、震災による大きな被害を免れた。
活動拠点を失った複数の劇団の稽古場所となった。
「震災直後に、演劇をしていいのかという葛藤はあった。
でも、震災前まで当たり前にできていたことを、普段通りにすることが復興なのではないか」
井伏さんは舞台を提供し続けた。
震災後、演劇の存在意義を問い続けて1カ月、
井伏さんは7劇団15人の同志と「whiteプロジェクト」を旗揚げした。
共通する願いは「生き残った人の思いを伝えたい」。
悲しみ、悔しさ、辛さ…。
被災地の痛みを「White―あの日、白い雪が舞った」に込めた。
クオータースタジオでの初演を皮切りに、東京、横浜など全国各地で公演を続けている。
15年3月、仙台で国連防災世界会議が開かれる。
被災地の思いを世界に発信できる貴重な機会だ。
井伏さんは自ら動き、会議企画の一環として「White―あの日、白い雪が舞った」を公演するチャンスをつかんだ。
訴えかけたいのは、震災がなければ生きていたであろう人の存在、
悲しみと向き合う人のやるせなさ。
「震災で多くの人が感じた『生』のはかなさと『死』の無常さを、演劇を通じて伝えていきたい」
井伏さんは心に刻み、5年、10年先の舞台に視線を向けている。
早稲田大大学院修士1年 木下翔太郎
東北学院大3年 豊田さき
法政大3年 阿部絢美
この記事を書いた人
- 一般社団法人ワカツクと河北新報社が主催するインターンシッププログラム「記者と駆けるインターン」。学生たちがチームを組んで、仙台の中小企業や団体を取材した記事を紹介します。ときに励まし合い、ときにぶつかりながら、チームで協力して取り組んだ“軌跡”をお楽しみに♪
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