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イケ社

伝統の手法と地域への想いで愛される「武田の笹かまぼこ」

鈴木恵 鈴木 恵
1,360 views 2015.07.31
鈴木恵 鈴木恵 東北学院大学3年(執筆当時)
お中元やお歳暮の時期には、普段お世話になっている人に地元の名産を贈る家庭も多いですよね。お年寄りから子供まで広く愛されている宮城の名産といえばやっぱりかまぼこ!私も小さい頃は、おばあちゃんから送られてきたかまぼこを冷蔵庫で冷やして食べるのが幸せでした。今回は、かまぼこの生産量が日本一の塩竈市でかまぼこ製造を行っている「武田の笹かまぼこ」を取材してきました。

「武田の笹かまぼこ」ってこんな会社

JR仙石線本塩釜駅で電車を降りて、歩くこと約15分。目の前に塩竈湾が広がる海岸沿いの静かな港町に「武田の笹かまぼこ」はあります。

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「武田の笹かまぼこ」は1935年4月に水産加工業として創業し、今年で80周年を迎えました。1949年にかまぼこの製造業をスタートさせて以来、施設の増築や新規開設を重ね、現在では、3階建ての施設の1階が見学可能な工場と地元の名産が買えるおみやげ市場、2階は食事スペース、3階屋上の潮風広場はかまぼこづくり体験ができるスペースになっています。

ike_70_2▲1階のお土産市場。かまぼこだけでなく、東北の名産品も取り扱っている

ike_70_3▲2階はレストランになっている。塩竈市は日本一の鮮マグロ水揚げ港で、新鮮な生マグロを中心とした「地産地消」の料理を提供している

ike_70_4▲3階屋上の潮風広場でかまぼこの手焼き体験ができる

宮城はかまぼこの名産地であり、製造・販売する会社は数多く存在します。塩竈市だけでもかまぼこを製造する会社が25社はあるそうですが、その中で工場見学と食事のスペースがあるのはここだけなんだとか。「武田の笹かまぼこ」は観光ツアーのコースに工場見学を組み入れてもらうなどして観光スポットとしての人気を集め、長年、観光事業が売り上げの9割を占めてきました。

しかし、2011年3月、東日本大震災により塩竈市の沿岸部に津波が襲来。港町地区では54戸もの家屋が全壊し、市域面積の約22%(離島を除いた本土地区の合計)が浸水する事態となりました(塩竈市ウェブサイト参照)。 武田の笹かまぼこでも店内に水が浸水し、製造ラインも被害にあいました。
しかしこの震災は、「武田の笹かまぼこ」が地域、社員との繋がりを再確認し、新たな経営理念を作るきっかけとなったのです。代表取締役専務の武田武士さん(39)に「武田の笹かまぼこの今」を語っていただきました。

ike_70_5▲1階は地面から階段を上ったところにあるにも関わらず、青い線まで水がきた

仙台の企業魅力

石臼100%!昔ながらの製法で守り続けるこだわりの味

武田の笹かまぼこではメイン素材として最高級ランクのスケソウダラを使用していますが、一番の特徴は、すり身になった原料に味付けをして練り合わせる時に用いている、伝統の「100%石臼製法」。多くのかまぼこ製造工場では、大量生産のために大きなサイレントミキサーを使い約30分で練り合わせるそうですが、武田の笹かまぼこでは最初から最後まで石臼を使い、3倍の時間を使って練り合わせています。石臼は温度を維持するのに適しているので、魚の繊維を壊しすぎず、魚肉本来の旨味や甘みを出すことができるのだそうです。

ike_70_6▲原料を練り合わせる石臼

かまぼこの出来は作業工程での湿度や気温によってもまったく異なり、工場の中は実際の気温よりも5~7度高くされていて、夏場は30~40度近くになるそう。そうした管理をしても空調による温度管理には限界があるため、最終的には職人が手触りを確かめたり、焼きあがったものを実際に試食などして入念に仕上がりを確認しています。

ike_70_7▲波型ローラーで笹の形に整えていき、焼き上げる

「最高級の素材を使っても大きなサイレントミキサーでは、80%の出来。しかし熟練した職人が石臼で練り上げることで100%、あるいは120%のかまぼこを作ることが出来る。環境によって出来が変わることもありますが、常に120%の出来を目指しています」。真剣なまなざしで製造ラインを見つめる武田さん。かまぼこ製造への強い思いが伺えました。

感謝を形に。震災で変わった地元との繋がり

「もうこれは無理だなあ」。そう思っていたと、武田さんは話します。
震災の渦中の中、2代目社長の逝去、塩竈市の被害、福島の原発問題、様々な問題を前に、経営困難であるかのように感じていた武田さん。しかしこの考えを打ち消したのは、避難所にいた地元の方たちの支えでした。
被災当時、「武田の笹かまぼこ」の2階大広間は一時避難所として使用され、約60名の地元の被災者の方を受け入れていました。レストラン事業も行っていたため、初めは生ものを中心に食材は多くあり、避難所としては贅沢な状況でしたが、「一時避難所」の扱いでは支援物資が来ない仕組みだったため、社長と地域の町内会の副会長で市役所に行き、正式な避難所として認めてもらったそうです。こうして、支援物資と店に残っていたかまぼこを食べ、辛い避難生活をしのいでいました。

ike_70_8▲被災当時、一時避難所として使用された大広間

ところが、被災者の方々は自主的に他の避難所に移ることを決めたのだそうです。
武田の笹かまを避難所として使用し続ければ、復興が遅れ、開店が遅くなってしまう。そう考えた地元の被災者の方々は、武田さんの仕事仲間が企画したカレーの炊き出しを最後に、他の正式な避難所に移ることを計画していたのです。
その日を境に「お世話になりました」、「じゃあね」と言って、一緒に生活した被災者の方々が次々と去っていく光景が、武田さんは忘れられないといいます。被災後のたいへんな状況の中、苦楽を共にした被災者の方々には逆に助けられていた、ずっといてくれてもよかった。そう感じていた武田さんは、当時の状況を振り返り、「なにかこみあげるものがありますね」と優しい表情で語ってくださいました。

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様々な人の助けを得て、武田の笹かまぼこは驚異的なスピードで復活を果たし、震災があった同じ年の6月には店を開店させることができました。避難所生活を通して地域との結びつきを強く感じた武田さんは、地元、塩竈市における会社の存在価値を上げる取り組みを始めます。それまでは観光ツアーのためのメニューとして旅行会社に提案していたかまぼこの手焼き体験を自社のWEBサイトに載せたり、学校の先生にPRしたりしたことで、地元の人も体験をしにくるようになりました。

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また、「地元の人に武田の笹かまを知ってもらいたい」と、本店以外にも市内に売り場を展開。今では塩竈市以外でも、県内に売り場を展開しています。震災前の武田の笹かまぼこは、いつも観光バスが停まっているため、地元の人からは入りづらいイメージを持たれていました。しかし今後は、地元の方が気軽に来られるように、お年寄りがお茶を飲める場所や、子供を遊ばせられる場所も本店の施設内に作りたいと考えています。「暇だから武田行くか!」地元の人がそう言ってくれるようなお店作りを目指している、ということでした。

「一緒に働く人はみんな好き」。スタッフ、社員との絆

震災の後、驚異的なスピードで店を再開できたのは、地元の人たちの力だけではありません。震災の次の日から店の片づけを手伝いに来てくれた社員も、大きな力となりました。

武田さんは高校を卒業してから営業マンとして別の会社で働いた経験があり、武田の笹かまぼこに入社した時、他社での経験により自分の会社の粗を見つけることが出来ました。しかし一族経営の親族社員である武田さんは、最初の頃は意見を言うことで社員に煙たがられることもあったそうです。社員に目線を合わせ、コミュニケーションを取ろうとしても、スタッフとしてはやりにくいところもあったようです。 
武田さんは震災後、長男であり社長の武田和浩さんと一緒に宮城県中小企業家同友会が企画した「経営指針を創る会」に参加したそうですが、これが社員との関係を大きく変えます。社員ともっと関わりを持つよう言われ、「みんながいるからこそ、自分の夢、共通の夢を実現することが出来る。一人じゃ何も出来ない」ということを考えさせられたそうです。

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現在の武田さんは、自分が好きになれば相手も自分を好きになってくれるという考えの元、働いているみんな全員を好きでいるそうです。スタッフには常に感謝し、昨年は塩竈市の花火大会の日、スタッフとその家族に会社の屋上を開放するなど、感謝の意を表すイベントも行っています。次のイベントも社員の声を聞きながら考え中だそうです。好きだと言ってもただ甘やかしているわけではなく、武田さんはスタッフに常に自分たちの存在意義について考えさせ、「自分の都合で物事を考えていないか」を問い続けています。「感動のサービスとは相手の思ったこと以上のサービスをすること」と武田さん。愛する社員と一緒に、変化するお客様のニーズを超えるサービスを追及し続けます。

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5年以上武田の笹かまぼこに務める相田李恵さんにお話を伺いました。
「大きな会社と違って上の役職の方とコミュニケーションがかなり取れます。全国各地からお客さんが来るので、その人たちに商品をアピールしつつ接客することがとても楽しいです」と相田さん。震災後に地元重視になった経営方針に対しても、「自分たちの立場を地域の中に位置づけることができ、地域の業者さんと共に成長していけるところが好きです」と、終始笑顔で答えてくださいました。

地域や被災企業の助けになりたい。

今後は自社の売上げを追求するだけでなく、地域の方々や被災した企業などの困り事を解決していくような事業を展開していきたいと語る武田さん。
近年、宮城で作られたゆずや、山形のだだちゃ豆を使用した創作かまぼこを商品開発しました。こだわりを持った商品作りをしていても販路が限られている地方の生産者の卸先となるとともに、東北のゆずやだだちゃ豆の知名度を上げることにも一役買っています。

ike_77_13▲お客さんのアンケートによって生まれた創作かまぼこ「宮城のゆず」。笹かまにゆずが入っており、スイーツかまぼことして人気                                                

また、被災した企業とのコラボレーション企画も考えており、塩竈市にある「元祖おとうふかまぼこ」で有名な直江商店の商品を本店のおみやげ市場で販売、さらにはお中元ギフトとして武田の笹かまぼこと一緒に詰め合わせた商品も販売もしています。震災前は多くのかまぼこ会社で市場のパイを奪い合っているという認識でしたが、震災後はお互いに協力してかまぼこ市場全体を盛り上げていきたいと思うようになったという武田さん。ゆくゆくは塩竈市のかまぼこ詰め合わせセットを作りたいと考えているそうです。

多くの人たちの支援や励ましのおかげで自分たちがある。その想いを事業で表現している武田の笹かまぼこ。愛する地元、塩竈市の産業をこれからも盛り上げ続けていってくれるに違いありません。

震災の時の様子や被害状況など、実際にお話を聞くと津波の被害は相当なものだったことが良くわかります。でも、そんな大変な状況だったからこそ、自分の会社だけのことを考えるのではなく周りのことも一緒になって考えるようになったというお話が心に残りました。取材にうかがった時、スタッフの皆さんが笑顔で出迎えてくださったり、気さくに話しかけてくださったり、一緒にいてとっても心地いい!感動のサービスを身を持って体験した気がします。新たな経営理念で生まれ変わった武田の笹かまぼこ。これからどんどん地元に愛される会社になっていくと思います。復興への道のりはまだ長いかもしれませんが、成長し続ける武田の笹かまぼこが塩竈市の希望の光になっていくように感じました。
鈴木恵鈴木恵東北学院大学3年(執筆当時)
文章:名前(○大学○年)
写真:名前(○大学○年)
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株式会社 武田の笹かまぼこ
http://www.takesasa.com/
住所宮城県塩竈市港町2-15-31