お仕事

農家にどうやってなったの? ~お米クリエイターの場合~

ハル ハル
2,884 views 2013.12.20

カレー屋でのインタビュー

うす暗い店内に2人のメンズが集まる。
ここは仙台市青葉区五橋にある「オジーノ・カリーヤ」。

オジーノ・カリーヤ

  • 古民家を改築した店舗で、濃厚な旨味のあるカレーを出すお店。
    ちなみに今回取材する佐藤裕貴さんのお米を使っています。

okome_carry

suzukoma_haru大内
いやー忙しい中ありがとうございます。

suzukoma_sato佐藤
いえいえ、こちらこそ先日のイベントに来てもらってありがとうございました。で、今日は何の話を?

suzukoma_haru農業ってどんな感じなのかな~と。ざっくり聞かせて欲しくて。
まあ、まずはカレーを頼みましょう。

okome_satoイベントを運営している佐藤さん

農業ってどんな感じの仕事なの?

大内:さっそくですが、農家の方の1日ってどんな感じなんですか?

佐藤:季節やその日によって違うんだけど、こんな感じですね。

農家の1日 ~秋の場合~

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大内:って…めちゃめちゃハードワークじゃないですか!

佐藤:慣れましたけどね(笑)

大内:オフの日はどんな感じで?

佐藤:友人のイベントに遊びに行ったり、仕事の延長がプライベートになっていたりしますね。あれ?ふつうは逆ですかね 笑

大内:確かに逆ですけど、楽しげですね(笑)ところで、どういう経緯で農家になったんですか?

高校時代~雑貨屋の世界に入るまで

佐藤:高校卒業後、短大を併学しながら専門学校に通っていたんですが、卒業してばらくして東京に行きました。宮城の地元の繋がりが嫌だったというのもあったんですよね。
群がる感じや、その集団の中で常識が創られているような感じで。
その中でも「自分のやりたい事をしたい!」と思っていました。

大内:やりたい事って何だったんですか?

佐藤:カワイイものが好きでして…。中学生の時は機関車トーマスが好きで、こまごまとしたおもちゃとかを集めたり、壁一面を装飾したりしていました。

大内:わかる(笑)中学生の時って周りもおしゃれを始めるから、イケてるものに敏感になってきますよね。

佐藤:僕は17歳の時に古着が好きすぎて、雑誌とか服とかに金をつぎ込でましたね。当時はカード10枚ぐらい持ってました。

大内:えっ!?いくらぐらい使っていたんですか?

佐藤:300万円ぐらいかな?カード36回払いとかやって、26歳の時にやっと支払いが終わりました(笑)

雑貨屋時代

okome_zakka雑貨屋時代の佐藤さん

大内:東京ではどれぐらい雑貨屋をやっていたんですか?

佐藤:店舗のお手伝いも含めて6年くらいでしょうか。
その後はアパレルの企画と販売として某ショップの原宿本店にいました。60年代のゴールドラッシュがテーマで、100年ぐらい伝統がある靴などを取り扱っていました。それからお金を貯めて、散々魅了されたアメリカを舞台にアンティーク輸入雑貨やヴィンテージのバイヤーとして生計を立てるようになります。

大内:スゴい活動的ですね!

佐藤:アメリカで一緒に仕事してた同い年のオーナーが面白くて、日本にいるときは駄菓子屋みたいなアンティーク雑貨のお店で昼間から「俺クラスの人間は、この時間は読書なんだ」とか言ってました(笑)

佐藤:しばらくはそうやって仕事をしていて、昼は1人でテニスやバスケしたり、ビール飲んだりしていました。

大内:かなり優雅な生活ですね、羨ましい。でも、なんで農家になったんですか?

雑貨屋さんの月収っておいくら? ~佐藤さんの場合~

【雇われ時代】…この頃は20〜28万円ほど。
【個人事業時代】…50〜150万円ほど。自分次第。

雑貨屋~農家になるまで

佐藤:その頃は東京にいる理由も無くなっていて、ゆったりと老後を暮らしたいな~と思っていたんです。
そんな日々を過ごしていたんですが、2009年の10月10日におばあちゃんが亡くなったんです。
姉が2人の末っ子長男で、嫁いだ姉は実家にいないので両親のみ。家出同然で上京したことを許してくれている両親へ、長男として自分の仕事で親孝行ができればという思いありました。

大内:雑貨屋から農業への転換って珍しいですね。農業へのモチベーションはどこから来たんですか?

佐藤:角田にいると地元の衰退が見えるんです。おばあちゃんが亡くなった翌年3月には母校の閉校式があったり、人口なんか僕が東京に行った時は3万7000人いたんですが10年で6000人近く減っていたんです。

大内:6000人!?10年で20%近く人口が減ったんですか…

佐藤:米を作るうちに農政が見えてきて、米価が下がる度にみんなが苦しくなるのを知って、でもなにをするっていうのも無くて…
そういった現状を良くしたいと思う度に胸が熱くなるんです。
地元のブランドを作りたいとか、雇用を生みたいとか思っていたんですが、何をしたら良いか分からなくて、まずは人に会ってもがいてみようと思ったんです。

大内:それがファイブブリッジの活動だったと。

佐藤:そうですね、ファイブブリッジの活動はおもしろくて、同じ思いを持った仲間たちが集まって飲んだりしていました。
そこから地元に人を増やすには、「帰りたくなるようなもの」をつくりたいと思うようになったんです。

大内:農家への転身は大変だったんじゃないですか?給料も下がったり…

佐藤:現在は売り上げをすべて会社に計上しているので固定に設定しています。活動費がほとんどなので微々たるものです。

  • NPO法人ファイブブリッジ
    産学官連携のコミュニティースペース。若手の起業家・サラリーマンが中心となって経営者と学生・産学官の交流といった活動を行う団体。

佐藤さんのこれから

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大内:それがこれから立ち上げる「一般社団法人OLD-DOWN OVERALLS」となった訳ですか。具体的にはどういった事をしていくんですか?

佐藤:若い人への魅力発信をしたいですね。文化というか、あの農家の父さんカッコイイと思ってもらえるようにしたいです。

大内:例えば前回のイベントなんかは、言っちゃえばただの収穫祭なんだけれども、収穫祭をパーリーと言い換えたり。

佐藤:それにファッションとかも組み込んで「衣・食・農、スタイルからの農業」を提案して行くんです。ホントは衣食住と言いたいんですが、住はお金がかかるんで…将来的にはログハウスを建てたいですね。

大内:ちなみに、どんな農業だと仕事は面白いですか?

佐藤:自分で最後まで管理できない農業は面白くないですね。心もモノも、豊かにするのがかっこいい農業だなと。現代の農業の問題は農業だけで解決できないので、人と人との関わりをつくるのがこれからの農業に必要だと思います。

大内:なるほど、僕も自然と共にありたいなという思いがあります。もっと楽しい、農や食との関わりが日常に生まれると面白いですね。これからの農業はもっとクリエイティブな余地がありそうです。

佐藤:はい。一般社団法人OLD-DOWN OVERALLSでは、職業からの「農業」だけでなく衣・食・農のトータルコーディネートを目指し若者に魅力的な農業を発信していきます。
第2回すずトマパーリーは、その理念を根底にしたものでした。

大内:確かに、色んな分野でのコラボがありましたね。ファッションショーなどの「衣」、ソムリエとの「食」、インテリアに凝った「空間演出」…

佐藤:その他にも接客アドバイザーからの「おもてなし」、オリジナルクラフトビールといった「加工」、雑貨などのオリジナルのグッズ販売…現在の私のすべてを団体を通して発信させていただきました。

大内:本当によくここまで詰め込んで、違和感なく楽しめるものになりましたね。

佐藤:基本となるのはもちろん「農業」ですが、農業だけに留まらず、常にジャンルは『ぼくです!』今後も農業を追求し、自分自身をさらに磨いてみなさんをおもてなし、楽しませることをす!!!!!

大内:(お…おお…熱いな………)
佐藤さんのようにサービス精神やビジュアルに凝る農家は見たことが無いので、これから角田からどんな農業が生まれるのか、楽しみです。
本日はありがとうございました。

取材を終え、それぞれ解散。この日佐藤さんはバタンQ。
遅くまでありがとうございました、くれぐれも体調には気をつけて…。

okome_kaeri

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この記事を書いた人

ハル
ハル
web大好きの開発者。デザインやシステムをいじったりする事に無上の喜びを感じる。
ワードプレスを中心としたwebサイト制作をいつもやっている。
ヨット、山登り、釣り、サーフィン等アウトドア好きという設定だが、最近は海にも山にも行けてない。行きたい。