記者(個人)

食堂再開、被災地のこれから見つめる

小林奈央 小林奈央
128 views 2014.03.04

大型のトラックが道路を行き交う。砂ぼこりが舞う。雑草が生い茂る東松島市野蒜地区の荒地に、青いのれんが見える。

「海鮮堂」は東日本大震災で未曾有(みぞう)の津波被害を受けた野蒜に残る唯一の食堂だ。今でも津波の爪痕が色濃く残る一帯で、工事関係者や被災地を訪れる人の貴重な食事の場であり、昼時はこぢんまりとした店内が多くの客でにぎわう。

オーナーは、カキ養殖業を営む門馬喜三さん(61)だ。「カキ漁がピークを迎える秋から冬の期間以外にも、従業員に働く場を与えたい」と、2011年1月に焼きガキをふるまうカキ小屋を始めた。震災が起きる約2か月前だった。

▲自身が育てたカキを前に、「この場所でやっていくしかない」と語る門馬さん

震災で、野蒜周辺は甚大な津波被害を受けた。海岸から約800mの場所にある店も例外ではなく、骨組以外は流された。残ったのは店の残骸と開業した際の借金800万円。もうだめだと思った。

再起の手助けとなったのは、全国から次々と訪れたボランティアだった。「あえて、唯一の食堂として踏ん張ってみたらどうか」という知人の助言にも突き動かされた。

新しい船を買い、養殖場を建て直した。店も再開し、カキを再びメニューに出せるようになるまでは、カレーやラーメンを安価で提供した。「店も土地も、自分で求めたもの。簡単には捨てられない」と自身を奮い立たせた。

再建から2年半以上が経った。利用客は増えてきたが、店も野蒜の土地も未だに復興の途上だ。津波の災害危険区域に指定された町に留まる人は少ない。将来、復興が進んでも人が集まる保証はなく、これからの経営に不安は尽きない。

「今は自分たちがとにかく頑張るだけで精一杯。まだ周りのことを考える余裕がない」

それでも「人の流れに任せ、続けられる限り営業を続けたい」と語る。門馬さんは食堂で自慢のカキを提供しながら、被災地の復興と共に歩んでいく。

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