売っているのは「信頼」。震災後、老舗呉服店がやったこと
着物×記憶×一生
「着物は一生のものだから。戻ってきてくれてうれしいねえ」。
そう語るのは、現在仙台市内の仮設住宅で暮らす南部くに子さん(72)。東日本大震災による津波で家は流され、2階部分だけが3km離れた田んぼで見つかった。
家に置いていた着物は泥だらけになり、カビで覆われた無残な状態に。母が縫ってくれた思い出の着物も、自分の娘に着せて、次は孫のためにと大切にしまっておいた振袖も、もう捨てなければいけないかもしれない―。
しかし着物たちは現在、泥やカビは綺麗に取り除かれ、仮設住宅では狭くて着物を受け取れない南部さんのために、ある店に大切に保管されている。若林区荒町にある1921年創業の老舗、奥江呉服店である。
売っているのは「信頼」
震災後、泥とカビにまみれたたくさんの着物が、元に戻してほしいという願いとともに店に持ち込まれた。状態を1枚1枚丁寧に確認し、専門の業者の手に託す。扱った着物は全部で4000枚以上にのぼった。
「ひどかったねえ、どの着物の状態も。それくらいしか仕事が無いから、1日中、泥とカビだらけの着物を扱ってたの。こんな状況だから、お代は後でいいよって言ってね。でも、うちは着物じゃなくて、信頼を売ってますから。信頼を売るってそういうことですよ。利益を求めてる場合じゃないんです」
信頼を売るということ
そう振り返るのは、若女将の佐藤東代さん(45)。大切な着物を直してほしい、処分してほしいという依頼は、顧客と店の信頼関係が無いと来ないもの。創業後4代にわたって、ずっと信頼関係を築いてきた老舗だからこそ頼まれた仕事だった。
着物に込められる思いについて語る佐藤さん=仙台市若林区荒町
人の気持ちに寄り添って
「着物には特別な思いを持つ方が多いんですよ。自分の晴れ着だったり、代々家で大切にしていたり。だから、もうダメだと分かっていても、皆さん自分では捨てられないんです。直してほしいという方だけじゃなくて、自分が見えないところで処分してほしいという方もたくさんいましたね」。着物を失う悲しみを理解するがゆえ、4000枚以上の着物をすべて請け負い、処分も引き受けていた。
奥江呉服店の顧客には津波の被害にあった人が多く存在したが、このような店側の奮闘のかいもあり、多くの顧客は震災後も奥江呉服店を訪れている。
「みんな大変だったでしょ。だからずっと着物のご案内はしてなかったんです。そろそろしてもいいかな、って思っています」。奥江呉服店と顧客の間に、長年築かれてきた関係は、震災後も変わらず続いていく。
取材を終えて
震災後のお店の様子や着物の修復の話を聞いていて、社長と女将さんが本当にお客様とのつながりを大切にしていることが伝わってきました。そして、そのつながり方は、「店と客」ではなく「ご近所付き合い」のように楽しそうで、思いやりがあって、とてもあたたかいものだと感じました。そんな「あたたかい店」だからこそ、この仙台の地で長く続くんだと思います。お店に行くと、色とりどりの和服で幸せな気持ちになれます。
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