身近な大人に聞いてみた はたらくってどういうこと?
ワタシゴト

街のためにできることを!地元の人から愛される店は地域を愛しているからこそ

舘岡明里 舘岡明里
1,112 views 2015.05.15

佐藤明さん(55)伊達瓦せんべい本舗一茶

どこか懐かしい雰囲気のする店内に、ふんわり広がる焼き菓子の甘いにおい。宮城野区二の森「伊達瓦せんべい本舗一茶」の、瓦せんべいの香りです。無添加原料の優しい甘さで、カステラの堅焼きのような食感。近所の主婦や、塾帰りの小学生が買いに来ます。地域に親しまれる瓦せんべいを焼き上げているのは、三代目の佐藤明さんです。

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家族あっての充実感

せんべい屋の店主として、販売と製造を切り盛りする佐藤さん。以前は機械関係の会社でサラリーマンをしていました。
小さなころから機械が大好き。実家が農家だったので、中学生のころはよく農機具をいじっていたそう。東北学院高等学校を卒業してから、整備の専門学校で2年間学んだ後、地元の自動車販売店のディーラーを6年、北日本ニチユ株式会社の仙台営業所に6年勤めました。営業成績がよく、会社から表彰されたこともありました。
25歳のときに結婚し、子どもにも恵まれました。奥さんの実家が、現在の職場である「一茶」です。前店主である義父とはとても仲が良く、夜は一緒に食事をしたり、子どもと遊んでもらったりしていました。
「北日本ニチユに転職したのも、家族サービスをしたかったから。ディーラー時代は日曜も仕事でしたから」。
長年せんべい作りを行ってきた義父でしたが、高齢になると、思うように作業ができない状態に。
「義父を助けるため、会社を辞めることにしました。仕事の充実感で自信をつけ、新しいことに挑戦したい時期でもありましたしね。」
老舗お菓子屋の三代目として、家族と共にせんべい作りに励む日々が始まりました。

お客さんの存在が仕事の励みです

せんべい作りは奥さんと二人三脚で行います。30年以上使い続けている機械は、生地を流したり、焼いたりすることは出来ますが、焼印を押す作業は出来ません。コテを手に持ち、1日に2000枚から3000枚のせんべいに絵柄を焼きつけていきます。

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一番神経を使うのは生地作り。代々伝わるレシピに従いながら、自分の舌で味を確認して配合を調節します。気温・湿度によって風味が変わってしまうので、気候ごとに粉の配合を変える必要があるのだそう。
「『昔から変わらずおいしいね』とお客さんから言ってもらえるのがうれしい」。

創業当時の味を守るだけではありません。
「世間にいま求められているものを提供したい」。
これまで亘理町のいちごを使ったクリームサンドや、沖縄県産黒糖と高知県産生姜を混ぜたせんべいなど、多くの新商品を開発しました。国内外の色んな材料をブレンドし、お客さんのために、よりよい味を模索しています。

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「お客さんの成長が見られることもあるんです」奥さんと一緒に楽しそうに語ります。
地域の常連さんの中には、小学生時代から県外の会社に就職した今でも買いに来てくれる方もいるそう。
「小学生のころは友達と、社会人になってからは恋人と、ウチのせんべいを買いに来てくれます」。
お客さんへの感謝の気持ちを忘れないことが、老舗としての心構え。
「店を続けられるのは、喜んで食べてくれる地域の方々のおかげです」。

地域のために街のお菓子屋ができること

「いままで支えてくれた地域の方々のために出来ることをしたい」。
東日本大震災の時は、材料に使う大量の卵を近所の方々に分けたり、津波被害を受けた沿岸部のお客さんのために、スクーターに商品を乗せて配布しに行ったりしました。
ボランティア活動に積極的になったのは、被災地で一生懸命活動する京都からのボランティア団体を見たことがきっかけ。
「彼らのように活動することで、皆さんに元気になってもらいたいと思ったんです」。
青年部部長を務める宮城県菓子組合で、地元に貢献する活動も始めました。
東北大学病院小児科の子供たちへお菓子を届けた2013年のクリスマスイベント。県内の菓子店から1000個ものお菓子が集まりました。
「病に苦しんできた子供たちの表情が、ぱっと明るくなって喜ぶ様子を見るのがうれしい」と微笑みながら語ります。

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地域ボランティアの他にも、青葉祭りをはじめとした行事に参加してきました。
「この街で商売させてもらっているのだから、地域に寄り添いたいのです」。
街のお菓子屋さんであり続けるために、今後も地域に貢献しようと意気込みます。

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急がば回れ!

失敗を恐れずに何事にも挑戦してほしいです。非効率的だと思うことでも、後で役に立つことが必ずあります。
私の場合機械関係の職に就いていたことは、現在のせんべい作りとは関係なく、無駄な経験に思われるかもしれません。しかし、かすかな音の違いでせんべいを焼く機械の不調に気づけたということがありました。整備の技術があったからこそ出来たことです。故障し生産できなくなる事態を未然に防げました。
合理的でない行動は決して悪いことじゃない。効率に囚われないで、まずは一度トライしてみて下さい!
 

取材で一番印象に残ったのは、地域のお客さんとのエピソードの数々。私は内向的で近所付き合いも苦手なので、地域の方々との絆の深い佐藤さんに憧れを抱きました。佐藤さんの地域への思いやりの精神が、「一茶」が長年愛されて続けてきた秘訣なのだと思いました。私も佐藤さんのように、地域の方々との楽しい思い出を築いていきたいです。
舘岡明里舘岡明里東北大学3年(執筆当時)
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