お仕事
「誰もやらないなら俺がやる」社会問題へインパクトを
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2013.12.06

【漫画】ゼロからのスタート

はじめまして!いぐする仙台編集室、学生記者の石川椋(いしかわ りょう)と申します。
※就職活動まっただ中の大学3年生。ゴルフはしたことがない。
アスイクの学習サポーターでもある。

※見れない方はこちらから。
アスイク立ち上げまで

紆余曲折の大学時代
大橋さんは高校卒業後、東京の大学に進学しましたが、何を目標にしていいか分からなくなり、3か月で辞めてしまいました。その後、アルバイトをしながら勉強をし、別の大学に入り直します。1、2年生ですべて単位を取り終え、3年生からは脚本家を目指すため、専門学校にも通っていました。大学4年生になったころ「俺がやりたいのは本当に脚本家なのか?」と悩んだそうです。
悩み、考えた末、人の役に立つ仕事をしたいと思い、求人広告を扱う人材系のベンチャー企業に就職しました。
- 学生時代は脚本家を目指すも、自分のために書いていることに気づき、挫折。
- たまたま送られてきた求人広告のコピーライター募集のDMを見て「自分の得意なことで人の役に立つことが自分の存在意義になる」と思い、期せずして社会人になる。
やりたい事を探し続けた20代
大橋さんはもっと社会の役に立つ仕事を常に探し、20代で2回転職しています。
新卒で入社した会社では、制作の現場で活躍していましたが、約1年が過ぎたころ、「自分はもっと直接、人の役に立つ仕事がしたい」と思い、仙台市の創業間もない会社に転職しました。若年者の就労支援の仕事をしていましたが、柔軟な対応ができないことに疑問を持ち、1年半で辞めることになります。
このとき起業を意識していましたが、前職の知り合いから声がかかったことと、20代は勉強をする時期だと捉えるようになったことから、大手の組織人事コンサルティング会社に転職することに。
- 社会人2年目の時に仙台の地域活性コンサルティング会社に立ち上げメンバーとして参画
- 実際は報告書を作って終わってしまう事業がほとんどで、これでは本当に必要な事業は作れないと痛感するような出来事がたくさんあり、自分でやるしかないと思ったのが26才の時
ソーシャルビジネスの世界へ
「起業するためにも、もっと勉強をしよう」と、大手の組織開発コンサルティング会社に転職。大手企業に対して、人事コンサルティングの仕事を経験します。3年ほど仕事を続け、ある程度経験を積んだ29歳の時、ついに独立します。前職の経験を活かし、NPOでソーシャルビジネスの立ち上げ支援を行っていました。
その最中に東日本大震災が発生し、アスイクの立ち上げへとつながっていったのです。

ソーシャルビジネスについて
ソーシャルビジネス=社会的企業ってなに?
- 社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体の事である
- 従来のボランティア活動やチャリティ活動は無償による奉仕や喜捨を基本としているが、社会的企業は有料のサービス提供活動による社会的課題の解決を目指す
- 一般的な株式会社と社会的企業の範疇に含まれる株式会社の違いとして、常に利潤最大化行動を採るかどうかという点がある
日本における子どもの相対的貧困率の割合・推移