お仕事
「誰もやらないなら俺がやる」社会問題へインパクトを
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2013.12.06
【漫画】ゼロからのスタート
石川椋
はじめまして!いぐする仙台編集室、学生記者の石川椋(いしかわ りょう)と申します。
はじめまして!いぐする仙台編集室、学生記者の石川椋(いしかわ りょう)と申します。
※就職活動まっただ中の大学3年生。ゴルフはしたことがない。
アスイクの学習サポーターでもある。
今回、私が取材したのはNPO法人アスイク代表理事の大橋雄介さん(33)。仙台で貧困を理由に教育を満足に受けられない小中学生に対し、学習支援をしている団体です。詳細を分かりやすく紹介した漫画があるので、こちらをご覧ください!
※見れない方はこちらから。
アスイク立ち上げまで
…と、こんなに活動的な大橋さんですが、アスイクを立ち上げるまでには紆余曲折がありました。
紆余曲折の大学時代
大橋さんは高校卒業後、東京の大学に進学しましたが、何を目標にしていいか分からなくなり、3か月で辞めてしまいました。その後、アルバイトをしながら勉強をし、別の大学に入り直します。1、2年生ですべて単位を取り終え、3年生からは脚本家を目指すため、専門学校にも通っていました。大学4年生になったころ「俺がやりたいのは本当に脚本家なのか?」と悩んだそうです。
悩み、考えた末、人の役に立つ仕事をしたいと思い、求人広告を扱う人材系のベンチャー企業に就職しました。
やりたい事を探し続けた20代
大橋さんはもっと社会の役に立つ仕事を常に探し、20代で2回転職しています。
新卒で入社した会社では、制作の現場で活躍していましたが、約1年が過ぎたころ、「自分はもっと直接、人の役に立つ仕事がしたい」と思い、仙台市の創業間もない会社に転職しました。若年者の就労支援の仕事をしていましたが、柔軟な対応ができないことに疑問を持ち、1年半で辞めることになります。
このとき起業を意識していましたが、前職の知り合いから声がかかったことと、20代は勉強をする時期だと捉えるようになったことから、大手の組織人事コンサルティング会社に転職することに。
ソーシャルビジネスの世界へ
「起業するためにも、もっと勉強をしよう」と、大手の組織開発コンサルティング会社に転職。大手企業に対して、人事コンサルティングの仕事を経験します。3年ほど仕事を続け、ある程度経験を積んだ29歳の時、ついに独立します。前職の経験を活かし、NPOでソーシャルビジネスの立ち上げ支援を行っていました。
その最中に東日本大震災が発生し、アスイクの立ち上げへとつながっていったのです。
私は「貧困の連鎖」という社会問題に対して、実際に大きなインパクトを与えているところを尊敬しています。いずれは、私も子どもに対する支援活動を行いたいと考えています。自分の力に自信がないとなかなか転職はできないですが、私も会社に頼らず自分の力で生きていける人間になりたいです。
ソーシャルビジネスについて
ソーシャルビジネス=社会的企業ってなに?
日本における子どもの相対的貧困率の割合・推移