テラス
「コミィ株式会社」柿沼清孝さん【いぐするテラス】
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2018.03.15

縁もなかった仙台で起業
2月13日のいぐするテラスのゲストは、コミィ株式会社代表取締役の柿沼清孝さんです。
就職活動を控えた大学生や社会人など10名が参加しました。
コミィ株式会社は、漫画投稿サイトの運営などを行っている2010年に設立した会社です。社長の柿沼さんは埼玉県の出身で宮城県には縁がなく、起業するまでプログラミングすら学んだことがなかった、と言います。どんな経緯があって仙台で起業したのか、どんな苦労があったのか、をお話してくれました。
「すべてを自分でやってみたい」が起業の動機

証券会社に就職してから2年後、設立間もないITベンチャー企業に転職しました。当時ITは最先端の分野で、新しい事業に接しやすいと考えたためです。私の担当は広告の営業でしたが、社員数50人の会社だったので、人事やウェブサイトの運営にも携われ、仕事の幅が広くやりがいを感じました。ところが会社が成長して社員が増えていくと、仕事の幅は徐々に狭くなり、またつまらないと感じるようになってしまいました。
大企業からベンチャー企業への転職を経験したことで、小さな会社ほど、関われる仕事の幅が広いと気づきました。私の親は自営業だったので、親の背中を見て、すべての仕事を自分で行う職業に憧れも持っていました。またIT企業が今と比べて少ない時期だったので、イノベーションを起こしやすいのでは、と考えていました。そこでIT業界での起業を決意しました。
事業計画書を作っているときに、宮城県の助成金を見つけました。「宮城県で株式会社を作ること」が条件だったので、仙台に移住しました。そして2010年に、ウェブサービスの運営を行うIT企業、「コミィ株式会社」を設立しました。
会社を立ち上げ、自社メディアをリリースしたものの、ユーザーが集まらず収益が得られませんでした。数百万円あった資金は数十万円まで減ってしまいました。助成金が入るのはまだ先のこと、ITの知識が不十分で、新たな商品を外注する余裕もなく、正に背水の陣でした。とにかく稼ぎたいという思いでいっぱいでした。
事業計画書を作っているときに、宮城県の助成金を見つけました。「宮城県で株式会社を作ること」が条件だったので、仙台に移住しました。そして2010年に、ウェブサービスの運営を行うIT企業、「コミィ株式会社」を設立しました。
会社を立ち上げ、自社メディアをリリースしたものの、ユーザーが集まらず収益が得られませんでした。数百万円あった資金は数十万円まで減ってしまいました。助成金が入るのはまだ先のこと、ITの知識が不十分で、新たな商品を外注する余裕もなく、正に背水の陣でした。とにかく稼ぎたいという思いでいっぱいでした。

プログラミングが出来るようになると、営業を始めました。仙台には頼れる知り合いがいなかったため、企業の「お問い合わせフォーム」を利用したり、IT企業のコミュニティに入ったりして、200社近くに営業をしました。ITの需要が高まっていた時期だったこと、仙台のエンジニアの単価が東京と比べて低かったおかげで、20社に1件は仕事が貰えるようになりました。
現在は営業職とデザイナーを含む7名の従業員を抱え、ウェブサイトの運営だけでなく、エンジニアを派遣するサービスも行っています。私自身は営業からプログラミングによる商品の開発まで、一通り出来ますが、今は営業に徹しています。会社勤めの経験があってか、営業が得意だからです。卓越した分野を自分の売りにして、経営をしていきたいと思っています。
取材を終えて:「努力を怠るのは甘え」

柿沼さんは、社員が努力を怠ると厳しく叱るときがある、と言います。努力の大切さを知っているからこそなのだと思いました。
私はこの話を聞いて、自分の欠点に気づかされました。私は学業で良い結果が残せなかったときに、いつも「時間が無かったから」と言い訳をして逃げていたからです。確かに、努力で解決できることをやらずにいるのは勿体ないと、反省しました。柿沼さんのお話は、行動を改める良いきっかけになりました。
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取材協力:コミィ株式会社
文章:菅野 雄哉(東北大学2年)
写真:安部 静香(いぐする仙台)