「震災の記憶」乗り越えて未来へ
「アルバムをもらって見る時に、うきうきしました」「一生だいじにします」。東北で唯一、アルバム制作を担う「斎藤コロタイプ印刷」(仙台市青葉区一番町)に東日本大震災後、寄せられた手紙だ。送り主は、同社が製作したアルバムをうけとった子供たち。文面からは喜びが伝わってくる。
震災に見舞われた2011年3月11日。同社の生産工場(仙台市青葉区上愛子)はアルバム制作の真最中だった。震災の影響で、製造ラインはストップ。完成品も、通常の輸送手段が断ち切られてしまった。毎年、およそ全国3500校分のアルバムを製造している。社員の柔軟な対応と周囲の協力により、札幌、関東、関西に向けてトラックを用意し、卒業式に間に合わせることができた。
届けられなかった学校もある。74名の児童が犠牲となった石巻市立大川小学校。「いつまでも倉庫にポツンと残ったアルバムが、目に焼き付いている」。生産担当部長の菅野幸久さん(49)は語る。
▲自社のアルバム保管庫にて、子供たちからの手紙を微笑みながら読む菅野さん
翌年以降も、震災はアルバム制作に影を落とした。慣れ親しんだ学び舎を離れ、クラスメイトがバラバラになり、撮ることができなかった集合写真。放射線の影響を考え、屋内のみに限られた学校行事。震災前とは異なる学校の状況を、社員たちはアルバム制作から感じている。
菅野さんたち制作者は「アルバムは時がたてばたつほど貴重な存在になる」と語る。アルバムを開くと、見えるのは人の顔や場所だけではない。当時の記憶、楽しさ、悲しみ、つらさ…。様々な感情が甦る。
思い出が凝縮された、卒業アルバム。誰でも一度は受け取り、一人一人にとって特別な一冊だ。いつの時代も変わることはない。
菅野さんは、震災の影響により、どこか物足りないアルバムを受け取らざるを得なかった子供たちを思い、語る。「将来集まってアルバムを作ろうという声が上がるくらい復興が進んでくれたらうれしい」。復興への願いを込め、斎藤コロタイプは今目の前にあるアルバムを作り続ける。
震災から3年目、春に巣立つ子供たちに渡すアルバム作りは、いよいよ佳境を迎える。